小学校の図書館で司書をしています。毎週 図書の時間に読み聞かせをします。 読み聞かせで利用した図書の紹介を中心に 図書館司書の仕事や学校で起こる様々な出来事について語ります。








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らりあん

Author:らりあん
司書歴16年。小学校勤務。
現校は1年目。
いつも『子どもの目線』をモットーに
子供たちにとっての居心地の良い図書室を目指して 毎日頑張っています。

所有資格:司書 司書教諭 中学校教員免許



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どんな思いでいるのでしょう
中学校の卒業式。
卒業する子どもたちを 
担任の次に心配していた私の姿を知っている先生たちが
私に「学校代表で参加してきたらいいよ」と言ってくれました。
でも 服装は普段着。
せっかくなら 昨日のうちに 声を上げていてくれれば
喜んでスーツを用意してきたのに・・・残念。

校長や6年次の担任の後姿を見送る。
全員が無事に卒業してくれることを願いながら。

しかし 蓋を開けてみると 昨日心配していた子どもとは別の卒業生が
卒業式を欠席していたと。
在学中に 思春期ということもあってか ご両親と様々なトラブルもあり
自分を戒めていた時期もありました。

私の立場では 遠くから見守るしかありませんでしたが
そのような状態から数ヶ月経ったある日
笑顔で小学校を訪ねてきてくれました。
あの笑顔は 暗闇から抜けて すっきりした顔に見えました。
けれど その笑顔も長くは続かなかったようです。

やはり 現実は厳しかったのでしょうね。
荒れていた時期に失った時間を取り戻そうとしたのですが
思いとは裏腹に もがき苦しんでばかりだったのでしょう。
受験という壁にぶつかり 改めて 失った時間の大きさが結果に結びついてしまったようです。

壁を乗り越えられなかったことを 受け止められずに
学校に足が向かないと 風の便りに聞いてはいましたが
まさか 卒業式にも出席しないとは 思ってもみませんでした。
私の考えも浅はかでした。

彼は 今日という日を どんな思いで迎え
欠席という選択をし 式の時間を どんな思いで過ごしていたのでしょう。
きっと 彼なりの3年間に思いを馳せ
公開と自責の念に駆られていたのではないかと思います。

彼の選択は 本当によかったのか。
中学校の先生も 彼を出席させるために 尽力されたそうですが
それでも 彼の気持ちを 頑なに動かさなかったものは
いったいなんだったのでしょう。

私は 中学校に務めた経験がないので
先生と生徒の関係が見えません。
小学校ほどの手厚さはないとわかっていますが
中学校の先生の係わりの深さとは どれくらいのものなのでしょうか。

小学校時代に彼と係わった職員は 彼のこれからを案じ 心を痛めています。


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テーマ:一人言 - ジャンル:学校・教育


この記事に対するコメント

>シチューパンさん
丁寧なお返事ありがとうございました。
大変勉強になりました。
中学校のご苦労は存じておりましたが
シチューパンさんの本音というか
仰られる本質的な部分がまた一つ垣間見れて 頭の下がる思いです。
中学校の先生方が このような思いでいらっしゃることが
子どもたちにしっかり伝わっているのでしょうか。
伝わっていないとしたら 本当にもったいないことです。

中学校の大変さもわかっていましたが
小学校としては 送り出した子どもたちのその後はまた大変気になります。
親さんたちが 中学校生活での不安を 
小学校の教職員に相談されたり語られたりすると 私たちは心配でたまりません。
中学校の先生方に このような気持ちは話しにくいのかなとか思ってしまうのです。
先生方と親さんの距離が遠いのかな・・・と。

中学校と小学校がもっともっと歩み寄れると良いですね。

また中学校ではなかなか難しい読書活動が
盛んとのことで嬉しく思います。
中学校にも絵本をどんどん入れてくださいね。

また 色々とご意見お聞かせください。
よろしくお願いします。
今回は貴重なご意見ご回答 どうもありがとうございました。
【2009/03/15 20:26】 URL | らりあん #XAUl15Aw[ 編集]


 お返事、ありがとうございます。

 われわれ中学校では、生徒を未来に向けて育てる事を一義としています。
 誤解を受けることを承知で言えば、一人の偏った目で子供を見るのではなく、多くの目を通してその子の個性の伸長をはかるのです。

 中学校の先生たちは、一つの教室についていませんが、休み時間に休憩に入っている先生はほとんどいません。廊下で、教室で、生徒たちを触れ合いをします。
 教室にずっといないから見つめる時間が少ないと手厚さがなくなるというのは、やはり断定的な言い方に聞こえてしまうのです。

 私たちは家庭とは違います。
 子供の心に沿ってあげる主観的な立場でのみ行動することは、子供たちが自分を客観的に判断し真摯に自分と向き合う力を弱くすることがあります。
 そこで私たちは指導という言葉を使います。
 大人への生き方の導きが、私たちの活動の中にはあるからです。
 子供たちの何人かは進学先に馴染めず、また、進学に目的意識を持てず中退をし、中にはそのまま社会に出る者がいます。
 私たちの卒業は、大人として生きて行く一歩になるのです。
 ノウハウとしての生き方ではなく、自分を見失うことなく生きていくことを、私たちは教えます。
 教科は知識ではなく、知ることによって人生を豊かにするためのものを教えます。学校生活は社会の中で、自分の責任と権利を持った生き方を学ぶ縮図です。生徒会は、代議員制を学ぶもの、そこで意見をもつことは、生きるときに声をあげる方法を学ぶことでもあります。
 中学校ではたいていの子供が部活に入ります。
 部活動は賛否両論ありますが、現実問題として、公立の部活動は、一つの目標に向かって頑張る、精鋭でない生徒の集まりです。
 そこで作られる密な人間関係は、想像を絶するものさえあります。
 厳しいだけでなく、頑張ることの意味をきちんと知る、強いものだけでなく好きで頑張るものとも協調し、ともに心を合わせることを知る。
 そのような機会を私たちは持たせます。

 指導という言葉を上から目線というなら、教師は子供目線を持った上からの存在でなければいけないと自分は思っています。
 子供と同調しては引っ張りあげることができまません。
 でも、そこにはうっとおしいほどに子供にかける厚い思いと熱い思いがあり、大人としてただ子供を上に上げれば良いとか、教えてやっているんだ的な思いはないのです。
 用務員の方が、中学の先生の仕事量に驚きます。
 先生たちは朝から部活が終わるまで、休み時間なしに生徒の相手をします。個人的な事務的な仕事は生徒が帰った時間の後(毎月完全下校時間は変わりますが、半年間は6時です。)から始めます。

 先生方の下校時間は7時は当たり前です。もっと遅いこともしばしばです。
 部活動によっては、土・日曜も当たり前に出勤し活動をします。
 
 先生方の活動は生徒ともにあります。
 指導という言葉を教えてやるという上からのものだけで使ったのではないところに、自分の言葉の足りなさがありました。
 申し訳ありませんでした。
 
 でも、中学校は義務教育の最後を抱える場であり、先に述べたように、大人が大人として子どもを育てる場なので、「指導」という言葉を使います。
 しかし、そこにあるものは相手に対する厚い思いであることは確かです。
 思いは伝わっているなと、卒業式を迎えるたびに思います。

 「手厚さ」が自分には理解できませんでした。
 「手厚さ」はその子どもにかける思いと目線、その上にある大人として、教師としての行動の厚みだと思ったものなので、書かせていただきました。

 言葉がきつかったらごめんなさい。
 他意はありません。
 
 自分のところは、毎朝10分間の朝読書をします。
 読書を通して心を学ぶが主旨の読書です。
 朗読会も開催しています。
 図書館は読書センターとしても充実するよう計画をしますが、学習センターとしての機能が十分になるようにとも考えます。
 きっと司書としての苦心は同じですね。
 当校では、これから在庫チェックです。

 よろしければ、またよらせていただきたいと思います。
 
 重ねて、お返事をありがとうございました。


 
【2009/03/15 07:12】 URL | シチューパン #bz7IHSNA[ 編集]


>シチューパンさん
誤解を招くような表現に捉えられ お気を悪くされたのでしたら申し訳ありません。

よく読んでいただけると・・・と思うのですが 私は判断を下してはいません。
私は中学校に勤めた経験がないのでわからないということ
中学校の先生の係わりの深さはどれくらいのものなのでしょうかという投掛けを 
最後に記しています。
表に見えることだけでは判断できないので そのように記したのですが
判断を下しているように捉えられてしまったのでしょうか。

小学校のような手厚さがないという表現は私の言葉足らずだったかもしれません。
中学校は 小学校のように 教室に担任の机があり 
ずっと教室に張り付いているわけではないですよね。
ということは 小学校のように
すべての時間の子どもの様子を把握することはできないということを
手厚さがないと表現したところでした。

シチューパンさんのように捉えられる方がいらっしゃるとは思わず 
そこまで詳しく書かなくても伝わるものだと考えた私のミスです。
最初から丁寧に表現すべきでした。

私も一つ教えてください。
「手厚さ」の捉え方ですが シチューパンさんは「指導」と仰っていますが 
「手厚さ」とは「指導」の手厚さを指すのでしょうか?
「指導」と捉えられているとしたら 上から目線の威圧を感じてしまい
子どもも思いを伝えにくいだろうな・・・と思いました。
すみません。子ども目線で。

中学校と小学校の手立ての中味もカタチも違うことはわかっています。
中学校が 手立てもしていないと思ったことはないですし 
手立てをされていることも知っています。

校内研で中学校の教員を招いて現状をお聞きしたり
研発で中学校の授業研を見る機会もあったりするので 
その中で 中学校の先生方ともお話もしています。

そのお話の中で ほっとすることもあり複雑な思いを抱えることもあります。
でもそれは 小学校と中学校の目線の違いなのだと解釈しています。
なかなか難しい問題ですが 
小・中学校はともに 子どもを育てるという同じ立場にあるわけですから
もっと解かりあい もっと手を取り合っていくために
小中連携をもっと密にせねばならないのだと思います。

私の落ち度は申し訳なく思いますが 訂正ではなく 補足とさせてください。
【2009/03/14 16:49】 URL | らりあん #XAUl15Aw[ 編集]


 初めてコメントさせていただきます。

 学校図書館にかかわるものとして、記事を興味深く読ませていただいています。

 さて、卒業式に出席されなかったお子さんに思いをはせる、その心内はよくわかります。
 でも、一つ訂正をお願いいたします。
 中学校では、小学校とかかわり方は違ったとしても手厚さがないということはありません。
 その決め付けたような表現は、中学校で行っている指導をきちんと理解した上のものだとは思えません。
 中学校で指導している者の一人として、そのような言われ方は心外であり残念です。

 自分のところの中学校でも、午前中に行われた卒業式に、いろいろの理由で参加できない生徒がいました。
 前日、いいえ、当日の朝まで先生方は出席に対する尽力をしました。
 それでも、参加しない生徒さんは、学校のというよりは「嫌なら参加しなくていいよ。」という保護者の声に足をとられてしまっていたように思え、みんな(生徒も教員も)残念な思いを抱えていました。

 でも、その子たちも午後に、別室に作られた会場で卒業式を行うのです。
 先生方の列席、一緒に校歌をうたい、校長先生から祝辞をいただき、拍手の中、花道を退場します。
 玄関先では色々な先生から祝辞をいただき、先生たちと写真をとって卒業していきます。
 その顔は、やはり晴れやかであります。
 
 どうか、表に見えていることだけで全てを判断しないでください。
 先生たちは、学校から遠ざかった生徒のために、時をかまわず活動します。
 学校へ来いというのではなく、その子の人生にプラスになることをと考えて、様々な手立てを考え、提案し、手助けします。

 ぜひ、中学の先生と話してみてください。
 学校の方針の差や教師の個性もあると思いますが、大方の中学校では、手厚い指導をしていると思いますよ。
【2009/03/14 08:30】 URL | シチューパン #3p3E4xCk[ 編集]


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